復興真っ最中。クライストチャーチ地震のその地

今回のニュージーランド旅、大目的の一つ。


それがクライストチャーチ地震(またはカンタベリー地震)の現場を巡る事でした。


まだまだ復興真っ最中でした。



ニュージーランドでは2番目に人口が多い都市です。


日本で大地震が起こる前、ニュージーランドで地震が起きる。


この関係性は成り立つのではないか?と以前記事にしました。



2011年の東日本大震災の一か月前にも、ニュージーランドで地震があったのです。


それがクライストチャーチ地震。


そんな場所を、以前訪れた記憶と共に辿ってみたい。


私自身、東日本大震災時の九段会館の現場にいた身。


どこか切っても切り切れない思いがずっとあったのです。


とは言え、これだけ時間が経った後。


どこまで見ることができるのか、不安はありました。


台風1号ができたのは日本でも報道されていたとは思いますが、その台風の卵を突っ切ってきた事もあって、想像以上の疲労感と飛行機酔い。


到着当日は、夕食探しのみで早い時間に休みました。


とてもいい天気に恵まれた翌日。


宿泊していたYMCAから直接、クライストチャートのシンボルでもあった、大聖堂へ。


クライストチャーチに訪れた際には、まずここを訪れるであろう場所です。


地名にもなっている通り「クライストチャーチ」があったカセドラル・スクエアです。


日本で当時放送していた中にも、何度も登場しましたね。



有料で登ることができた塔は崩壊。


教会の鐘は落ち、十字架は倒れ。


その大聖堂の姿は、もうありませんでした。


2011年の崩壊後、度重なる余震により、75%が崩壊したことが発表されました。


2012年には修復の見積もりが出たのですが、その額5,000万NZドル~1億NZドル。


日本円で約35億~70億円の費用が必要であると発表されたのです。


また特徴的だった内部のステンドグラスは修復が不可能で、余震も続くとあって危険な状態。


「修復断念」


と結論付けられ、しばらくはメモリアルプレイスとして残され、その後は解体予定となっています。


解体前に行けて、良かった・・・


この大聖堂の代わりとして建てられたのが、Transitional Cathedral(トランジショナル・カセドラル)です。


(日本のガイドブックでは「カードボードカセドラル」と記載されています)



日本人建築家である、坂茂(ばん しげる)氏によって提案がされた、世界で唯一の紙で出来た大聖堂です。


もちろんすべてが紙というわけではありませんでしたが、柱や壁の多くが紙素材だそうです。


と、言うのも、紙と言われて「そーですか」と納得できないほど立派なんです!


大聖堂の再建まで利用される予定となっています。


トランジショナル・カセドラルのすぐ裏にあるのが、クライストチャーチ地震最大の被害を出した場所。


地元テレビ局「カンタベリー・テレビ」CTVビル


多くの日本人留学生が通っていた語学学校が入ったこのビルが全壊し、28人の日本人が亡くなりました。


後の調査で、語学学校が入っていたCTVビルの「構造上の欠陥」があったことが発表され、地震における人災として終結しました。


他の階には、医療センター、カウンセリング機関が入居していたこともあり、地震における死者185名のうち115名(うち28名が日本人)がこの一か所で亡くなったのです。


現在はもうすでにビルは無く、更地の状態に。


小さな献花場が設けられ、千羽鶴が飾られていました。



様々な国の方がこの場で亡くなったこともあって、献花の方法は各国でいろいろ。


何国かの風習が集まる、非常に世界的に重要な場になっている気がしました。


私はもちろん、日本式に手を合わせてきました。


クライストチャーチ地震を巡る旅は、まだつづく・・・


※今回「クライストチャーチ地震」の名称を使用しました。

日本では「カンタベリー地震」を報道では使用していましたが、ニュージーランド現地では「クライストチャーチ地震」が共通名称となっている様でしたので、こちらを採用しました。

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