今回のニュージーランド旅に、どうしても加えたかったクライストチャーチ。
東日本大震災と「姉妹地震」とも称されるように、非常に近い存在の地震。
その跡地、関連地をどうしても巡りたいとの意思を反映させました。
カセドラル・プレイス
CTVビル跡地
トランジショナル・カセドラル
そんな中、「現地で得た情報」をもとに訪れたのが
「カンタベリー地震ナショナルメモリアル」
(Canterbury Earthquake National Memorial)
2017年2月22日に、町中を流れるAvon川沿いにメモリアルウォールが作られました。
日本ではほとんどニュースにもならず、実際今回の計画段階で見つけることもできなかった場所です。
今回この情報を見つけたのは、地震当時の様子や被災した建物のシンボルなどを展示している「クエイク・シティ」でした。
地名にもなっているクライストチャーチの十字架や壊れてしまった町のシンボル、当時のニュースなど、地震のすべてを見ることができます。
また、日本の東日本大震災でも起きた「液状化現象」の仕組みや再現の展示もされていました。
そして日本から一目散に駆け付けた、日本救援隊の事も。
地震発生から時間が経ってからこの地を訪れることになる私にとっても、非常に参考になる展示内容となっていました。
また興味深かったのは、クライストチャーチのこれからの都市計画。
そう。
クライストチャーチの復興の現場では、「まず動いてしまおう!」なのです。
日本だとまず机上から始まって、決める事が決まらないと動くことすらありませんね。
すべてが後手になっていると批判が起きる原因ともなった点です。
その点、クライストチャーチでは計画を決めながら、やれるところは、やる。
すでにいくつかのオフィスビルや道路整備は完成しており、今回のような、地震のメモリアルウォールもすでに作られている段階なのです。
トランジショナル・カセドラルもそうですね。
被災者が希望を持てるように、片づけもままならない時に建てられました。
そんな都市計画。
ちゃんと都市の「ビジョン」があるのだなぁと思いました。
これは誰かにちゃんと聞いてみたい。
クエイクシティのスタッフさんの伝手をあり、翌日クライストチャーチ市役所にて話を聞けることになりました。
これはまた別の機会に。
そうしてクライストチャーチの復興は確実に前進していると改めて感じました。
そこで新たなものとして知ったのがメモリアルウォール。
やはりこの辺は外国人の「粋」な部分なんでしょうね。
地震にて被害にあわれ亡くなられた方々の名が刻まれていました。
語学学校では日本人を含め、いくつかの国の出身の方が亡くなられました。
ウォールには、その国の言葉でも名前が刻まれているのです。
日本人には漢字で。
他にも、韓国語、アラブ語(?)、中国語。
おそらく現地の人は読めないであろう言語ででも構わない。
国際色豊かなお国柄というのが全面に出ている気がしました。
日本では、実際に被害にあった場所「そのもの」を残そうという意思が先に立ちます。
改めて新しいものに、その「心」を残すという考え方は、宗教的な背景もあるのだと考えられますが、その精神はさまざまです。
もちろんこれは人が違うので、人の考え方とお国柄で違いが出るのは当たり前。
ですが、「地震の記憶」を残すのか、「人の記憶」を残すのか。
これは大きな違いだと私は思います。
この辺は欧米の「個人」を尊重する考え方が、このメモリアルウォールに現れているのだと感じました。
東日本大震災のも、市役所跡を残そうとか、船を保存しようとか様々ですね。
そこに「個人」はあるのでしょうか?
ちょこっと、ふと思ったのです。
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